小説を書く理由

青井と言います。初めてブログというモノを書く。

 私が『執筆』という執念にも似た何かに取り憑かれたのは、中学生の頃だったと思う。中学生という人生で最も多感かもしれない時期に、私は二つの小説に出会った。多分、大学生となって中学生の頃より様々なことを見て聞いて、経験して、たくさんの娯楽を知ってなお、未だに私に小説を書かせるメインエンジンとなっているのがこの二つである。それだけ、当時の私に大きな衝撃を与えた。多感な中学生の時だったから、という要素は大きいだろう。

 ただ、私という人物の何かにその二つの小説が、その二つの小説だったからこそ刺さったのは事実である。私の人格形成にも、いくらかこの小説の存在が刻まれている自覚があるほど刺さり込んだ。

 その二つの小説の内、一つは当時、ネットという大海の中でssを漁りまくっている時にとあるssのまとめサイトで見つけた。

 ssというは、サイドストーリー、ショートストーリーの略(諸説ある)で、漫画やライトノベルのいわゆる二次創作であったり、全くのオリジナルの物語を「」(かっこ)だけ、要するに登場人物の会話だけで主に進める台本形式の文章だったりであることが多い。ただ、地の文を含んだssというものも存在し、そう言ったものはもはや普通の小説と区別がつかないが、要するにまぁ小説と変わらなかったりする。物語であることに変わりはない。ともかく、当時私は偶然一つの小説(ss)に出会った。

 童貞であることに悩む一人の等身大の高校生の話である。舞台は夏。ヒロインは2人(3人)いて、幼馴染、同級生、(妹)である。基本的に、主な登場人物の本名が明かされない構成で、幼馴染は文中でも『幼馴染』だったし、妹は『妹』で、同級生には『屋上さん』というあだ名がつけられていた。作中で主人公は『チェリー』というあだ名を付けられることになる。

 構成としては何気ないほぼ王道の青春モノで、何か尖った特徴があるかと言われればそんなことはない。文章がめちゃくちゃ上手い訳でもなければ、ネット上で特別有名になった物語という訳でもない。ただ、その小説の感想欄のページを覗くと、たくさんの感想があり、その多くが感動していた。その感想を読んでいると、私がそれを読んで感じたのと同じように、心の何かに響いたと、誰しもが胸の奥に抱えている言葉では言い表せないようなモヤモヤした何かを晴らしてくれたと、ほかの読者も感じているのが分かった。

 文章がめちゃくちゃ上手い訳ではないと既に記述したものの、その文章はとても『絶妙』である。そして軽妙だ。

 最後までさらっと軽くユーモアのある文体、人の心の隙間に入り込む切なさ、共感、テンポの良い展開。そんな文章だったからこそ、当時中学生だった私にも読むことが出来たのだろう。

 私は夏が来るたびにこの話を思いだして読み返すし、歳を重ねるごとにこの物語の凄さに気づかされる。

 私が小説でやりたいことの一つに、言葉で決して言い表せない『何か』を読者の言葉に響かせるというものがあるが、それはきっとここに起因する。

 この小説には、言葉ではとても言い表せない夏の切なさと、等身大の思春期の少年の葛藤が記されている。

 過剰表現であることは、否めないかもしれない。

 それだけ私はこの小説に取り込まれているし、それはもしかすると妄信に近いものなのかもしれない。

 それでもこの物語が、ひとりの人間の何かをそれだけ響かせたということは、事実である。

 この辺りで区切りを入れ、次の話に移る。

 私に小説を書かせるきっかけとなった、もう一つの物語の話である。

 こちらは先に述べたものと違って、かなり有名なものだ。

 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』というライトノベルである。ライトノベル――いわゆるラノベは、ss同様定義が難しい。アニメ漫画のような大衆向けのイラストが付いた若者にも読みやすい小説――といった表現は間違ってはいないだろうが、正確でもない気がする。ひとまず、そういった主に中高生に向けた読みやすい文体の小説という認識で話を進める。

 『俺ガイル』と略されることも多いこのラノベは、アニメ化もされている超人気作品である。このライトノベルがすごい!というラノベ界では有名な年に一回発行されるラノベのガイドブック(2005年から発行開始)があるのだが、そこで2014〜2016年の3年連続1位をとって、唯一殿堂入りしている。簡潔にいうと、とんでもなく凄い。

 そんなラノベの存在を私はアニメで知った。私がアニメを見て原作を買おうと思ったのは、これがはじめてである。

 内容としては、至極簡潔に述べると、ひねくれた一人のぼっち高校生が、問題を抱えた少年少女と関わり合って成長して行く物語だ。

 この小説が中高生にウケたのは、人付き合いというものを一度でも『面倒くさい』、『鬱陶しい』と思ったことがある多くの人たちに、恐ろしいまでの共感と、それをネタにするウィットに富んだユーモアのある笑い、そしてそんな人付き合いが苦手であることを恥じている者達に、『それの何が悪い』とある種の答えじみた道筋を開いてくれる部分だと思う。

 繰り返すが、この作品の主人公は「ひねくれている」。

 その一方で、主人公はラノベ界ではもはや王道テンプレートの一つとなっている『なんやかんやあって可愛い女の子たちと仲良くなる』という展開を辿る。

 人付き合いを苦手に思う思春期の読者、あるいはそんな思春期を経験した読者。そんな読者たちを“一切否定せず”に、きっと彼らが心のどこかで望んでいた『青春』を追体験させる。それが『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』というラノベである。

 文章は主人公のモノローグが多いにもかかわらず読みやすく、ひねくれた主人公の包み隠さない毒、嘲笑、そして何より自嘲が面白い。

 例えば、リア充たちの楽しんでる俺たちアピールを見て、

『なぜ自分の感じている楽しさを、自分の楽しさを、己一人で証明できないのか。』

 モテないことを自覚して、

『おそく、非モテぼっちほどのリアリストはいないだろう。非モテ三原則【(希望を)持たず、(心の隙を)作らず、(甘い話を)持ち込ませず】を心に刻んでいるのだ』

 きやすく話しかけられて、『おいおい、あんま気安くすんなよ友達なのかと思っちゃうだろ』

 自分と対照的な『リア充』を見て、

『けれど、俺は今の自分を過去の自分を否定しない。一人で過ごした時間を罪だと、一人でいることを悪だと、決して言わない』

 などなど、そんな表現がポンポン出てくる。

 そんな主人公もまた、曲がりなりにも経験を経て成長していく。

 ライトノベルってこんなに面白いんだと私に思わせてくれた作品であり、私はこんな物語を書けるようになりたいと望んだ。

 そんな俺ガイルの原作は既に完結しており(全14巻+番外編)、完結編のアニメ放映も予定されている。

 が、しかし、私はまだのそのラストを見届けていない。原作は最後まで手元にあるのだが、続きを待ち望んでいる内に、成長し、中高生でなくなった私の中には、何度も何度も『俺ガイル』を読み返していた頃の熱のようなものがなくなってしまった。この作品が大好きであるという事実は変わらず、俺ガイルが面白くないという訳でないことは分かって貰いたい。あれは、面白い。

 私の青春に大きな影響を与えた『比企谷八幡』というひとりの主人公が歩んだ道のりのラストを、私は見届けなければならない。そう思いながらこの文章を書いている。

 長々と、二つの作品について紹介(私の主観的な感想を垂れ流しただけのような気もするが、結局人の思考を通した時点でそこには主観という異物が介入せざるを得なく、人間ひとりではどんなに頑張っても確実な客観性を得られるはずがないので、別にわざわざ言い訳する必要はない)したが、今になって冷静にかんがえると、一つ目に紹介した小説は私の小説の『理想』に影響を与え、俺ガイルは文体に影響を残している。()の中の長文は、私製作の質の悪い『俺ガイル』オマージュである。

 もちろん、どちらがどうとかはっきり決め付けられるものではないのだが、そういう要素が大きいという話である。

 もちろん私に影響を与えた作品など、他にいくらでもある。

 余談だが、上二つの作品を半ば妄信する私に、それと同じにおいを感じさせた作品がもう一つある。とても有名な森見富美彦という筆者の『太陽の塔』という作品だ。一つ決定的に違うのが、上二つの主人公が『高校生』であるのに対し、太陽の塔の主人公は『大学生』である。多方面から批判をくらうかもしれないが、私はこの三つに似たものを感じている。この小説もまた、私が掲げる理想に近い作品だった。

 なんだか色々書き殴っている内に、本来の目的から遠ざかっていたような気がする。この駄文の主題は『私が小説を書く理由』である。

 簡単にまとめると、上二つの作品に感銘を受け、「俺もこんな話書きてぇ! あわよくば俺が影響を受けたみたいに、どこかの誰かの人生を変えてしまうほどの衝撃を『誰か』に与えてぇ!!」と思ったからである。それが、私が小説を書く理由だ。

 ただ、それだけではない。理由はまだある。

 もう一つは『小説を一発当てて印税で暮らしたい』である。これに尽きる。好きなことして楽に生きてきたい、人間だし。

 私が筆を取ったのはその二つの作品を読んだすぐ後、中学2、3年生くらいの時だが、そんな夢を見た中学生時代の私は、大学生くらいまでにメジャーデビューして金が有り余る悠々自適な生活を送ろうと割と本気で計画していた。

 夢見る中学生の自分へ。大学生になった私は未だに小説を書き続けていますが、それでお金を稼いだことはまだありません。まだ。

 小説という一つの媒介に、そんな二つの目標を掲げる私は、本当に私が書きたい話で夢見る印税生活を獲得するのは難しいことに気づいた。少なくとも、まだ今は。

 という訳で、小説で金を稼ぐために(どうしても働きたくない)、私はとある画策をして、ようやくいよいよ小説でお金を稼げるかもしれない、というところまで来ている(なおそのやり方が合っているかは分からない、多分間違っている)。

 が、ひとまず、主題である私が小説を書く理由は一応書けたで、このあたりで一度この文章を締めることにする。

 この話の続きは気が向いたときに書くつもりでいる。

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