オタクを誇るな

その他

これは、オタクという概念が何か高尚なものと信じ混んでいる異常者の戯れ言なので適当に流し読みしてください。あと、ここで言うオタクとは釣りやクラシックのような古くからある趣味を嗜む人というよりは70年代以後に成立したアニメゲーム漫画その他サブカルチャーを愛好する集団および個人のことです。

かつてオタクは嫌われものだった。

それは、世紀末の社会不安や、その中で起きたいくつかの事件にオタクに類する人物が関わっていたことなどが複合的に重なった結果だった。

オタクはその事に自覚的であり、その事がかえってオタクの強い帰属意識と閉鎖的かつノンイデオロギー的な交流を産んだ。

それゆえオタクはインターネットの海に、あるいは秋葉原のような閉鎖された土地に潜り込んだ。

そこでオタクは独自の文化を育み、オタクはオタク内で独立した一大産業構造を形成した。その象徴が秋葉原であり、日本橋であり、中野ブロードウェイであり、コミックマーケットであり、2ちゃんねるであり、ふたばちゃんねるであり、面白フラッシュであり、ニコニコ動画だ。

オタクは産業革命以後成立した消費構造を刷新した全く新しい消費主体だった。その背景にはオタクが長らく培ってきたような一般大衆への嫌悪意識や僻みのような感情が強く根付いていることは明らかである。むしろ、そうであるべきだ。オタクは日陰者であるべきだ。なぜなら元来オタク文化とはそのようにして発展してきたものだからだ。閉鎖的であるから大衆に迎合した商業主義をとる必要がなく、それゆえ文化的な独立性と先進性が保たれるのだ。

しかし、時代は変わった。

かつてインターネットで悶々としていた世代は経済的にも社会的にも力を持つようになり、サブカルチャーは日本の文化産業に深々と食い込むようになる。またインターネットの普及は文化の流出を招いた。

そういった兆候はここ十年の傾向であるように思われる。

まとめサイトはネットミームの一般化を引き起こしもはや大衆はミームをミームとして認識しない。スマートフォンと無料動画サイトの組み合わせによって誰もがアニメーションを無限に消費することが可能になった。あらゆる層の人間が参加するSNSはオタクとそうでないユーザの区別をしない。

そして、従来のオタク産業はそれの状況に迎合した。もはや、依存している。なぜなら、めちゃくちゃ金になるから。いままで大して金にならなかったのに、めちゃくちゃ金になるからだ。

それが、今の日本を取り巻く「え?!○○君もアニメ観るんだ?私も超アニメとか見るよ~ボカロとかめっちゃ聴くし」という層が跋扈する状況の原因だ。世間ではそれをライトオタクと呼ぶらしい。ふ~ん。

いつの間にかオタク文化は市民権を得て、あたかも自分がオタクであることをステータスだと思い込む、オタクであることを誇る人間が出現するようになった。

その結果が、これだ

映画『ヲタクに恋は難しい』 予告【2020年2月7日(金)公開】

いや、この映画が悪いとかじゃなく、俺はただこの予告編にとてつもない違和感を抱くのだ。まるでオタクが美化されているようで。この映画で描かれるオタクは多分、俺の知っているオタクとはひどく解離してしまったものだろう。まだ、「電車男」のがマシだ……

もしかして、俺が世間から取り残されたオールドタイプってことなのか?不安になってきた

サブカルチャーあるいカウンターカルチャーでこそあれ、メインカルチャーとして登場することは許されないはずなのに、もはやオタク文化は日本の文化の中心のように思える。新海誠や米津玄師なんて、そのいい例だろう。オタク文化は、その発生の内の大きな部分を萌え(死語)に依存しているうえ、主軸が娯楽産業である以上、消費主体にとって魅力的なものになることは必然なので、著しく性的であったり、ニッチな性癖の欲求を満たすものなので、本来一般大衆とあいまみえてはならないもののはずなのだ、多分。

だから萌え(死語)に迎合した広告が批判のやり玉に上がりがちだったりするんじゃないのか?

オタクは、もっと、日陰者で、謙虚で、学者肌であるべきなんだ、もっと……………

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(参考画像)

でも、もうそんな社会は二度とやってこない。

だからこの文章は懐古主義者の戯れ言だし、恐らく大多数の人には同意されない

でも俺は思わざるを得ない、そしてこう言わざるを得ない

牙を、取り戻せ

オタクを誇るな

<完>

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