俺は完全に頭がおかしくなっている。
10歳とかのころからインターネットに入門し、横断的にサブカルチャーを通過してきたり、特に音楽についてはのめりこんでポピュラー音楽の批評書を読むようになったりして、なんというか俺の感性や審美眼というものは一般大衆から恐ろしく解離してしまった気がする。
特定のカルチャーに詳しくなると何が起きるかというと、そのコンテンツを受容するときに批判的に認識し歴史的文脈に位置付けずにはいられない病気にかかる。つまり、純粋にこの音楽はいいとか悪いとか言えなくなるわけだ。直感的にいい音楽があったとしても次の瞬間にはその音楽の背後にある膨大なデータベースに思いを馳せている。そして、そのデータベースが優れているかを、音楽がいいか悪いかの価値判断の基準にしがちで、そうなると俺にとっていい音楽とは音楽オタクが音楽オタクのために作ったものにしかならないわけで、そうなると俺がいいと思った音楽のYouTubeの再生数は1200回だったりするわけで、その度に俺は「なんでこのバンド売れてねえんだ~~?かっこいいのに」などと思うわけだ。
もうそういうのはやめにしよう。俺の頭は完全におかしくなっている。
そう考えると、俺はアマチュアのドン底並に文章を書いたりしているわけだが、そういう発信者の側に立ってみると、一般大衆にウケるように物事を発信できるという能力は物凄くヤバイ能力であることがわかる。
正直、俺と同じような人種に向けて何かを発信することはそう難しくはない、時間と根気とエビデンスさえあればできることだ。そのことと、意識的に大衆に開かれた視点を持って物事を発信することはめちゃくちゃ違う。
なぜなら、コンテンツを創造する作業は得てして内省的で、多くの場合歴史的なデータベースだったりを参照して作っていくものだから、コンテンツの担い手はそのジャンルのオタクであることは必然的であり、オタクである以上前述の病気が発祥してしまうからだ。俺がいいと思ったバンドなどが大して売れてないのは、彼がの作品が開かれたものではないからだ。
だから、例えば売れてるメジャーバンドのやっていることはめちゃくちゃに、それはもうめちゃくちゃにヤバイ。「大衆が何をいいと思うか」というのを分析できて、それをいい感じに出力できて、実際にウケているいる訳だからな。もちろん、時代の流れみたいなどうしようもない要素はあるんだけど。
そういうわけで、ドブ底でコンテンツを作ることと、めちゃくちゃウケているコンテンツを作ることは、一見延長線上にあるように見えて、まったく次元の違う能力が必要、まさに月とすっぽん
というわけです
まあここでの軸は「売れているものが偉い」という基準があって語っているわけなので、また違った視点を持てば書けることは大きく違う訳だが……
なので、こんなサイトでこんな読ませる気の無い文章かいてる時点で終わりです。
逝ってヨシ
罰金バッキンガム
さようなら