社会くんvs個人くん

「俺たちがなぜ大学に行くかというと、それは千差万別だが、社会全体で見た大学の存在意義は、優秀な学者を産み出すためなので、社会の効率を最大化したいなら、学者になりたくないと思った学生はその時点で卒業させてあげてもいいと思う、みんながんばって入学試験は突破したのだから」

「いや、社会に出るための教養を身につけさせる課程が学部の4年なわけだから、その4年はみんな望んでいるのでは?4年も必要ないという人のために短大や、専門学校などがあるのだから。高卒で働くという選択もあるよね」

「果たして、日本の四年制大学の学生が学部課程で身につける教養はいかほどに必要なのか?一般教養や、第二外国語はまだしも、その先の専門的な知識は、多くの学生にとって卒業のためのツールでしかないだろう」

「それはきみが文学部という実学から遠く離れた学問をやっているからだろう。もっと実学的な分野の学生ならば社会に出るための実践的な学びをしているよ」

「いや、本当に社会に出るための実践的な学びだけをしたいならば、それこそ四年間も大学で学ぶ必要はないだろう。結局はみんな、みんなが大学にいくから、大学卒の資格をとらなければ社会への参加資格はないから、そして、大学生としての生活は享楽的だから、大学にいるだけなんだよ。それは、社会全体で見たら、大きな負債でしかない」

「また、そうやってきみは話を大きくするよね。世の中の人間はみんな個人主義なんだから、社会全体の損得なんて考えてはいない」

「その通り。だからこそ、個人レベルで社会に参加できる社会人になるべきだよ、一刻も早く。大学での専門的な学びは、社会全体の利益にこそ貢献するもので、個人にとって利益になりうることはほとんどないのでは?そしてこの話は、恐らく『中学でやる数学や、漢文はほとんどの人は将来必要ないのになぜ義務教育でやるの?』という疑問にも直結する。仮に、個人主義に基づいて、義務教育から数学を排除したならば、今後の社会に数学者は現れなくなると断言しよう。なぜなら、誰も数学が面白いと思うきっかけを得られないから。しかし、その一方で、社会にとって高度な数学の知識を持つ人間は絶対に必要だ。だから、義務教育における数学の授業は、社会にとって巨大なふるいなんだよ。大学の話もそうだが、この世の中の巨大なシステムは集団主義に基づいているのに対して、高度に現代化した我々の思考は個人主義に振り切れているから、齟齬が生まれるんだよ。大卒じゃないと就職できないというこの社会の現状は、個人主義が拡張しすぎて集団主義を侵食している例だろう。我々はこの先もっと、社会のなかで、全体の一部として生きている実感を失っていく。投票率なんかは、そのいい例だと思う。その傾向は、この半年でよ~~くわかっただろう。しかし、それこそ社会システムが大変動しないかぎり、俺たちは集団主義の社会で生きていくしかないんだよ。だから、集団の一部としての自分という視点から価値判断をしていくということも大切だと思う」

「ふ~ん」

おわり

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