——或いは、インターネットに対する、遺言のようなもの
作品の感想を自分で考える時代は終わったらしい(https://anond.hatelabo.jp/20201104013753。鬼滅の刃の映画のネタバレがあるので注意)。民主主義は崩壊したらしい。マスコミはデマをばらまいているらしい。
頭のいいあなたは、何を今さら、と一蹴するかもしれないし、あまり頭のよくない俺や、また別のあなたは、いちいち深刻になって脳内で言葉をこねくりまわすかもしれない。
こねくりまわしても、たいした結論は出てこないから、インターネットに氾濫する意見をそれとなく継ぎ接ぎして、自分のものにするかもしれない。
そうして呟かれた俺やあなたの言葉は別の誰かに引用されて、批判の槍玉にあげられるかもしれない、お前の意見にはなんのエビデンスもないし、他人の意見のパクリじゃないかって。
はたまた、上手いこと拡散されて、ネットニュースなんかに掲載されるかもしれない。
俺は、そういったインターネットの動き自体は不可避だし、健全さを保っている側面もあると思う。
さらに言えば、あなたが、鬼滅の刃の映画をみて、感動しファンになって、感想や意見を投稿しても、それはある程度の範囲までは健全な心の動きだと思う。
ここで言う健全さとは、それが、決して社会の新陳代謝を阻害するものではないと言う意味です。
ただ、ある程度と注釈をつけたように、その動きは必ずしも手放しで誉められたものではない。なぜなら現行のインターネットは重大な誤謬を抱えたまま肥大化しているからだ。
その誤謬とはなにか。
結論から言えば、それは、インターネットは、大した教養もない一般人が主体であるにも関わらず、それが権威であるかのように振る舞っているという誤謬だ。
詳しく説明すれば、インターネット以前、たとえば世界が東西に分かれて熾烈に争っていた時代、マスメディアが強固な権威を保持していた時代は、人々は無意識にそのあまりに巨大すぎて不可視に近かった権威という土台の上で生活していた。それが資本主義という概念だったり、テレビや新聞、ラジオといったマスメディアだ。その中でその構造自体に異を唱えるものは排斥されたし、人々の周りにあるものはその構造の文脈によって定義されたものしかなかったわけだ。この点が、あの記事の抱えていた最大の誤解で、何も、インターネット以前だからといって我々は自発的にコンテンツを面白いと思っていない。インターネット以前にあなたがいいと思ったものは既に巨大な価値観のもと審査されたうえで陳列されたものでしかない、それ以外のものは存在すらしない。
その一方で、あの記事が抱いていた危機感も俺は理解できる。その危機感の正体は、かつてはマスメディアが保持していた権威の枠組みが巧みにインターネットに取って変わられているということだ。
要するに、冷戦が崩壊して、日本では55年体制が終焉に向かって、あまりに巨大な社会不安の中で、従来の価値観は解体され、人々は小さな価値観の枠組みに散り散りになった。その中の一つが、あの記事の筆者の匿名の誰かだったり、俺だったり、もしかしたらこれを読んでいるあなたがいたかつてのインターネットだった。ありとあらゆる立場を許容するそこは、うそをうそと見抜けるひとだけがいる場所だった。
しかし、いつしかインターネットが便利すぎるあまり、全員使うようになったから、うそをうそと見抜かなければ真実に到達できない、というような根本的な構造はなにも変わっていないのにも関わらず新聞やテレビと同じ温度感で権威になってしまった。
このヤバさ、わかりますか?
散り散りになった価値観をあたかも統合し、ひとつの巨大な土台になり、今やマスメディアを超える権威になりつつあるそれは、その実、様々な価値観を継ぎ接ぎに結びつけた歪なものであるどころか、あなた一人の意見すら権威にみえてしまうという重体な誤謬をともなっている。そして自分が権威であると錯覚する奴、あの記事が言っていたようにその権威を商売に利用するやつが増えている。
なぜそのようなことが可能かというと、インターネットでは、それがうそか本当かなど一切関係なくよりわかりやすく、よりセンセーショナルな論調・コンテンツがより多くの人の目に留まるからだ。「10分でわかる」、「YouTube大学」、あるいは大統領候補のスキャンダル、コロナは風邪、そこに正しさは必要ない。巨大な価値概念だったマスメディアや政体が慎重な審議のうえで発信するのと同じ、下手したらより多い人々の目に留まるものが、それだ。
その行き着く先が、大統領さえもツイッターで幼稚な論争を繰り返す、反知性主義の社会でなくてなんなのだろう。
あなたがひとつ呟いた意見は、下手すれば拡散され続け、何百万人もの目にとまり、最悪ネットニュースにまとめられ、まさしく権威になりかねない。その権威が明らかに論理的におかしかったり、片寄った主義主張だったら、それはあっという間に炎上してしまう。
インターネットは、本来だったら交わることのないコミュニティ内でさえ急進的な意見同士が真っ向から衝突する場所になりつつある。
それって、めちゃくちゃヤバくないですか?
いや、誰もその事に気づかず、俺だけが、いや俺と匿名の誰かだけが過去のインターネットに囚われているだけかもしれない。
思えば、インターネットやってていいことなんて一つもなかったな。物事を斜に眺める癖だけがつき、主語と自意識だけがデカくなってゆき……………
なので、この文章は老害のざれ言だと切り捨ててくださって結構です。
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ツイッターに関する俺の議論はこちら
おわりに
だったら、GoogleとYouTubeだけが全ての情報源である俺が、あなたが、その社会に対してできることはなんだろう。
それがやはり、うそをうそと見抜こうとし続ける姿勢、なのかもしれない。もっと噛み砕いていえば、冒頭にかいたような、(それが例え大ヒット映画に対してでも)何らかの感情を抱き、それを説明しようとする健やかな心の動きだけが、我々を反知性のヴェールから解き放つもののように思えてならない。
今一度、考えてください。
そして、説明しようと試みてください。
あなたが見ている景色、考えていること、聴いている音楽、観た画や、読んだ漫画のことを。
それが、次の時代をすこしでも健全なものにする最後の抵抗です。
それでは。