政治の周りをうろうろする理由

政治の周りをうろうろする理由

【目次】

①何で政治に興味があるんだっけ?

②「政治への関心」に至るまでの土壌

★「よからぬこと」その1:「正しさ」の基準がなくなっちゃって超ショック

★よからぬことその2:「正しさ」のない社会規範へのモヤモヤ

よからぬことその3:頭でっかちコンプレックス

③「政治への関心」の発芽

★発芽その1:「正しい」ことはあるのか?という問いに対する回答:抽象から具体へ

★発芽その2:橋渡し役としてのフェミニズム

★発芽その3:政治とコンプレックス

★まとめ:政治の周りをうろうろする理由

④うつ病道中膝栗毛

①何で政治に興味があるんだっけ?

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先日、メンタルクリニックのカウンセラーであるリチャード(仮名)と話しているときに、フェミニズムの話題になった。私が大学時代に所属していた専修ではフェミニストが多かったが、そのことをリチャードに話すと、彼は、次のような疑問を口にした。

「いったい、彼らは、どういう経緯でフェミニズムに興味を持つようになったんでしょうね」

私は、自分の周りにいたフェミニズムの支持者がかつて口にしていた動機を思い出しつつ、彼らの口調をなぞるようにして答えた。

「彼らの中には、もともとモヤモヤしたものがあったんだと思います。日常生活の中で強制される社会規範に対するなんらかのモヤモヤが。でも、知識がない状態では、そういうモヤモヤを言い表す方法がない。そういう状態で、大学に来て、フェミニズムを学ぶと、『あ、私が感じていたモヤモヤには名前があったんだ!あれはやっぱりおかしかったんだ!』ってことが分かって、腑に落ちる。そこから、フェミニズムにもっと興味を持つようになる」

また、リチャードと政治・経済の話をしているとき、リチャードは私にこう言った。

「しまむらさんは珍しいですね。今の若い人で政治に興味がある人、そんなにいないと思いますよ」

せやろか。私と歳の近い知人の中には、東京でデモに参加したり、衆議院議員選挙に出馬表明したりする人たちがいたので、若い人も、それなりに政治に興味はあるんじゃないかとは思うけれど。まあ、それは良いとして、リチャードの言葉を受けて、少し考えてみた。私は何で政治に興味があるんだろうか。政治は難しくて、面倒くさくて、避けた方が無難な話題なのに。

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私は、今、政治にわりかし興味がある。別に専門家みたいな知識があるわけじゃないけれど、心に余裕のある時は新聞で政治のニュースを読むし、SNSで政治のトピックがトレンドに上がったときは、そのことについてちょっと思考を巡らせることも多い。気になるテーマに関しては本を何冊か読んで調べるときもある。選挙の投票にはもちろん行く。そういうレベルで、政治に興味がある。

じゃあ、何で自分は政治に興味があるんだろうか、と問うてみると、答えるのが意外と難しいことに気付く。なんか複数の要因とかあれやこれやが組み合わさって政治への興味になっている気がする。っちゅーわけで(何が「っちゅーわけで」なのかわからないが)、比較的時間のある今、どういう経緯や要因で、自分が政治に興味を持つようになったのかを振り返ってみようと思う。自分が「政治」というトピックの周りをうろうろする理由は、長らく私の中で、モヤモヤしていて、何だか気持ち悪い状態が続いていた。今回は、そのモヤモヤを文字化することで、頭の中をスッキリさせよう、という試みである。モヤモヤしているものを文字に起こせたときの気持ちの良さは、フェミニズムという領域に限らず、体験できるものだと思う。

②「政治への関心」に至るまでの土壌

何かについて疑問を抱いたり、真剣に考え始めたりするきっかけは、大体、何かよからぬことが起こったときである。それまでの知識や経験では納得・解決できないような問題が発生したからこそ、私たちはウンウン唸ってその事態や事柄に対して頭のリソースを割き始める。っちゅーわけなので、「政治」というトピックについて考えるようになった経緯や要因を振り返る上では、自分の関心が「政治」に繋がっていくまでの「よからぬこと」を見ておくことが重要だと思う。自分にとっての「よからぬこと」というのは、例えば、昔の自分が敵意を抱いていた対象とか、言葉にならなかった違和感とか、コンプレックスとかそういうもの。「政治への関心」が発芽するまでの、自分の中にあった土壌をまずはほじくり返してみようと思う。以前の自分が距離を置こうとしたものたち(その多くは今でも距離を置きたいと思っている)を、思い出せる限りで洗い出してみよう。

★「よからぬこと」その1:「正しさ」の基準がなくなっちゃって超ショック

小さいころ、私はめちゃめちゃ天真爛漫だった。幼稚園から小学校低学年くらいの頃の私はコミュ力おばけで、いろんな人に話しかけていたし、自分の話したいことを好き勝手にびゃーびゃー口走っていた。とにかく積極的だった。バレンタインの前に、よく遊んでいた女子に「チョコくれ」と自分から言うくらいに積極的だった。それくらい溌剌でいられた理由は、ちびちゃい頃の私が、行動の基準を全て「自分」に置くことに、何のためらいも感じていなかったからだ。自分の行動によって、他人がどういう気持ちになるかということを、一桁歳の私はほとんど考えていなかった。「自分が楽しいと感じることはみんな楽しいと感じるし、自分が正しいと思うことは、他の人にとっても概ね正しいことだ」と、なんとなく、そう思っていた。

しかし、いつまでもそんなのんきな思い込みを続けることは許されない。好き勝手なことをやっていた私は、小学5年生のとき、ついに、同級生の女子複数人から「軽い」いじめを受けてしまった。いじめられた直接の原因はわからんけど、私が好き勝手やってたから、ふつーにヘイトが溜まったんだと思う、知らんけど。まあ、そのときのクラス担任は優秀だったんで、いじめのかなり早い段階でクラス会的なのが開かれた。

担任「しまむらさんいぢめるのやめようね(怒)」

女子「フヒヒ、サーセンwww」

みたいなことがあって、私はことなきを得た(私をいぢめたY崎とY蔭とY川とK守はぜったいにゆるさないゾ!)。担任の対応が早かったおかげで、いじめが終わった直後は、「あー、めんどくさかった。あいつら、ぜったいにゆるさない(おこ)」くらいにしか考えていなかった。しかし、いじめの一件は、しばらくしてから、私のメンタルにボディブローのように効いてきた。いじめが起った辺りから、私は、自分の言動が他人にどういう影響を与えるか、ということを考え始めるようになってしまったのである。

「いじめられた、ということは、女子が私のことを嫌っていたということだ。女子が私のことを嫌っているということは、私は女子に嫌われることをしたということだ。しかし、私は自分の好きなこと(=他の人も好きなこと)をしていただけだ。あれ、ひょっとして、私が好きなことって、他の人にとっては嫌いなことってこと? あれ? 私が正しいと思っていることって、他の人はそうは思っていないかもしれないってこと? あれあれあれ……」

自分と他人のものの考え方・感じ方は違うという事実が、「いじめ」という一つの深刻な形となって現れた後、私は、無意識に受け入れていた「自分」という物差しに以前よりも信が置けなくなってしまった。今まで自分が「確かなものだ」と考えていた基準や正しさが、小学5年から中学2年にかけて、緩やかに溶解していった(おりしも思春期まっただなかの多感な時期)。

 この小学校から中学校にかけての時期が、しょーじき、めちゃめちゃつらかった。自分の考え方やそれに基づく行動の仕方、性格っぽいやつが、数年かけてゆーーーーっくり180度ひっくり返っていったからマジつらみ。自分の性格に一番影響を与えた時期と言っても過言。え?私のその行動って正しいの?やっていいこと???みたいな疑問が生まれてしまって、自分の行動にブレーキがかかるようになった。そうすると、それまで何も考えずにできていたことをやることが、途端に難しくなってくる。以前は、人に何気なく話しかけていたのに、自分が人を傷つけるかもしれないというイメージが頭に浮かんで、うまく喋れない。やべえよ、やべえよ。自分のコミュニケーションの仕方が劇的に変化していることに圧倒的ヤバさを感じる一方で、「正しさ」に対する私の固執はどんどん深まっていった。「正しさってなんやネーン」が増殖して、日常生活に溢れる「規範」に対して、私は正しさの根拠を求めるようになるのであった……(下巻へ続く。嘘です)。

★よからぬことその2:「正しさ」のない社会規範へのモヤモヤ

 もちろん、当時の自分が最初から「規範」みたいな小難しい言葉で考えを巡らせていたわけではない。中学生くらいの頃は、そういう語彙をもっていなかったから、正当性のない事柄や根拠のない不確実な話に、ただただ「モヤモヤ」していた。中高時代、一番「モヤモヤ」していたことは、何と言っても、「友達」概念、あるいは、「友達」規範だった。モヤモヤしていた一番の理由は、中学生あたりから、「友達」がやけに打算的なものに感じられるようになったから。クラス中に蔓延する、「友達はいないといけない」みたいな雰囲気がめちゃくちゃ嫌いだった。友達がいないと、休み時間に話す相手がいなくて、グループ作業のときもなんか気まずくなって、体育で二人組を作るときに先生とペアになって、修学旅行の班を作るときに一人だけになって、なんとなくみんなから小声で馬鹿にされる。自分のコミュニケーションの仕方が変化して「友達」を上手く作れなくなったことと軌を一にして、「友達」関係は、私の周りで、ステータスとしての側面を強めたように感じられた。「友達」概念の曖昧さに疑問を持ち始めた時期と、「友達」関係の打算的な側面が露わになる時期が被ってしまったものだから、私にとってはもう大変。自分の中で、「友達」ってヤバくね?みたいな疑問が強固なものとなり、人づきあいが余計怖くなってしまった。しかし、そういう「友達」概念に懊悩している私をよそに、同級生たちは見事に「友達」関係を構築していた。私には、同級生たちのそれが、ひどく醜いものに見えた(失礼だな、オイ)。小学生の頃よりも汚くなってしまった(ように思えた)「友達」関係を、なおも飄々と続けたり、「友達を作らないといけない」という規範を優先して、無理矢理「友達」を作ろうとしたりする同級生が嫌で嫌で仕方なかった。「友達」周辺のそういう規範と、「友達」概念を中心にして形成されるいわゆるスクールカースト的なものがハチャメチャに嫌いになったが、当時は、やはり、そーゆー状況を説明する語彙もなければ、その関係から離れるだけの自由もない(嫌いな同級生とも、同じクラスで学校生活を続けなければならないのだ)。そーゆー感じで、私はただただ、正しくない(であろう)「友達規範」にモヤモヤを深めていた。

あ、そう言えば、「恋人」規範も嫌いだった。恋人規範も、友達規範と同様、ステータスとしての側面が強いように思えたし、「恋人なら○○しないといけない」みたいな意味不明な道徳規範が恋人という関係性の周辺で見え隠れしていたから。

 中高生の頃はこーゆー感じの「友達」とか「恋人」に対する拒否感が凄かったけれど、別に、「友達」や「恋人」そのものを否定したいわけではなかった。だって、小学生の頃の私が築いていた「友達」関係は、確かに、とても心地いいものだったから。打算的ではないような、「友達」関係が成立しうるということを私は経験していたし、それはおそらく「恋人」関係に関しても同様だろう、という(何の頼りにもならない)直観もあった。だから、「友達」も「恋人」も、上手いことやれれば、何か知らんけどいい感じになるんじゃーないのかと思ってはいた。思ってはいたけれど、その時、私の周りにあった「友達」と「恋人」の関係は、私にとって、魅力がなかっただけではなく、「いい感じ」の「友達」や「恋人」関係の具体的なイメージを封じ込める働きもしていた。やっぱり、私は、ただただ、モヤモヤするしかなかった。

 まあ、ともかく、こんな感じで、「正しいかどうか」という 観点から社会規範を見てみると、色々な規範が根拠薄弱であることが分かってくる。方々で主張されている「道徳的な正しさ」なんて特にそうだった(「道徳的な正しさ」には、「友達」規範、「恋人」規範も含まれている)。私たちは、ことあるごとに、 「正しい」あるいは「正しくない」などの言葉を用いて、人の行い・ふるまいを道徳的に評価するが、 そのように評価する際の基準は多くの場合、非常に曖昧である。十分な正当化が行われない ような基準も少なくない。このような「道徳的な正しさ」が持つ不確実性を経験していく中で、私は中学から高校にかけて次のように考えていた。「道徳的な正しさなんて人それぞれで、道徳的な正しさが持つ根拠は非道徳的な人が主張する根拠と変わらないのではないだろうか」。例えば、A が「嘘を吐くのは悪いことだ」と主張し、B が「嘘を吐くのは善いことだ」と主張しているとしよう。仮に、両者が自身の主張の正当性を「自明だからだ」で済ませようとするのであれば、A の主張は、一般的に私たちが「非道徳的だ」と考えるところ の B の主張と、形式的には同様の根拠しかもっていないのである。さらに、奴隷制度や女性差別など、当時の人たちが「自明だ」と考えていたものが、後になって非難の対象となった例は多い。歴史的な事実を鑑みるなら、道徳的な主張は、実質的な内容それ自体においても正当化され得ないことが分かる。

 このように考えると、「道徳的な正しさ」などというものは実際には存在しないのではないだろうかという気持ちになってくる。要するに、人はただ自分の言いたいことをもっともらしく飾り立てているだけなのだ。「その振る舞いは人としておかしい」などと非難する人は、道徳という仮面の下に、自らが「不細工だ」と罵る人と同じような醜い素顔を隠しているのだ。「道徳的な正しさ」はただの欺瞞に過ぎない……(中二病を10年続けているから、「欺瞞」とかいうカッコいい言葉を使うのはお手の物である)。

 しかし、じゃあ、「道徳的な正しさは人によって様々で相対的です」みたいな道徳相対主義に欠点がないかというと、全くそんなことはない。道徳相対主義的な考え方の主要な問題点は、しばしば、こずるい言説となって私たちの前に現れている。例えば、それは、日常生活において、何らかの諍いが発生して、話し合いがこじれたとき、ゴキブリのように湧いてくる。

「まあまあ、結局、価値観なんて人それぞれなんだからさ。話し合っても意味なくない?はい、この話終わり!」てな感じで。あるいは、

「価値観は人それぞれだから、何が正しいかなんて人それぞれ!あんまり俺が言うことにトヤカクいうな!」的な。

……うーん、納得がいかない。そもそも、そういう立場を一貫させようとすると、騙されようがぶん殴られようが、文句は言えないことになってしまう。「正しさは人それぞれだから。俺は人を騙したり殴ったりすることが正しいと思ってるだけだから。はい、この話終わり」みたいな、主張に対して、まともに反論できないことになってしまう。そういう議論の帰結がある以上、「人それぞれ」みたいな道徳相対主義をまるっと素朴に受け入れることは難しい。まー、要するに、民主主義の基盤である価値観の多元性にあぐらをかいた粗雑な規範的主張に我慢がならんかったという話。高校生の頃の私は、道徳相対主義的な立場に共感しつつも、似非相対主義者が用いるクソ雑魚論法が非常に嫌いで、もっと納得のいく立場をとりたかった。ただ、中・高の頃の自分は、自分の興味・関心を満足に考えるための知識もなければ、腰を据えて考える時間的・精神的余裕もなかった(学校生活は、それなりに忙しかったし、しんどかった)。私は、オベンキョーしたり、クラブ活動したりしながら、納得のいかない社会規範に、やっぱりただただ、モヤモヤするだけだった(なんかモヤモヤし続けた結果、このテーマで大学の卒論を書くことになったけど、その話は割愛)。

よからぬことその3:頭でっかちコンプレックス

思春期と言えば、コンプレックス。コンプレックスと言えば思春期。というわけで今回は、学生時代のコンプレックスとジンジャーエールで優勝していくことにするわね……🐍。

~前節までのあらすじ~

根拠のない社会規範はクソだし、道徳相対主義はウンチ。

上のあらすじ程度で終わっておけば、お後がよろしかったんだけれども、納得がいかない社会規範に対する私のこだわりは、全くありがたくないことに、自分のコンプレックスを作り上げるのにも一役買ってしまった。思春期のでっけー自意識は、「根拠のない社会規範を批判しているんだから、あなたが従っている行動規範には、さぞかし立派な根拠がおありなんでしょうね?」と、自分自身に余計な煽りを加えてしまった。そして、私自身、その煽りを受け入れてしまった。「すべき思考」のできあがりである。中学のかなり早い段階で、私は、「好きなこと」を自分の行動規範の最終的な指針にすることを避けるようになった(「好きなこと」は気分にかなり左右されるので、全くあてにならないと当時の私は考えた)。そして、「好きなこと」ではなく、どちらかというと「やるべきこと」に力点を置くようになった。「え?私のその行動って正しいの?」という、自分の問題意識を正面から受け止めて、できるだけ根拠のある行動規範を支持しようと考えたのである。

~根拠のある行動規範を支持しようとした結果www~

ネガティブになりました。

ちょっと考えてみれば分かるように、私たちが明確な行動規範に従わずに生活している場面なんていくらでもある(風呂に入ってボーっとするとか、飛んできたものを反射的に避けるとか)。しかし、極端な「すべき思考」というのは、なかなかに強力で、特に行動規範を考えなくてもいい場面にまで、自身の行為に対する理由付けや内省を強要してきたのである。この強要による精神的な負荷が、ひじょーによろしくなかった。

なんか行為をしようと思う→その根拠は?→納得できる根拠が見つからない→やっぱり根拠はないのか?→うーん、ワカンネ。

自分が何かしらの行動を起そうとするときに、上の思考サイクルが湧いてきてしまい、行動にブレーキがかかるようになってしまった。行為にブレーキがかかると、これまで何気なく、できていたことができなくなる。これまでできていたことがうまくできなくなると、まあ、ネガティブになっちゃいます。「今野、そこに『正しさ』はあるんか?」という問いがチラついて満足に行動できない。余計な思考が自分の細かい行為にまでまとわりついたせいで、フットワークが重たくなった。考えても答えは出ないから、考えること自体が、行動すること自体が嫌になった。つまり、頭でっかちの口だけ人間になってしもうたのである。何か新しいことを始めようとすると、また面倒くさいことを考えてしまいそうだったから、現状を変えることに対する拒否感を覚えることが多くなり、保守的で、自閉的な行動パターンをとるようになった(生活リズムを壊すことに対する拒否感が大きかったように思う。毎日、同じ時間に寝起きしたかったし、通学路はいつも同じルートがよかった)。そんで、そんな自分にコンプレックスを抱くようになった。小学生の頃の自分はあんだけ天真爛漫だったのによぉ……、ただのメンドクサイやつになっちゃったじゃねえかよ……的な感じで。もちろん、「自分が納得しない規範や立場には与しないぞ!!」と意気込んだおかげで、避けられたものはたくさんあったけれど、それ以上に、失ったものが自分の中で大きかった。納得はしていたけれど、やっぱり、自分の「好きなこと」に正直に生活している人たちがちょっと羨ましくもあった。友達作ったり、恋人作ったり、趣味に力を入れこんだりできる人はすごいなーと思っていた。逃げるように学校の勉強をした。自分の中で勉強は分かりやすく「するべきこと」だったから、現実逃避の手段にもってこいだった。ただ、勉強という目先の「するべきこと」をこなしても、自分の「頭でっかちコンプレックス」から逃避しているという自覚はあったから、やっぱり心は休まらなかった。保守的で自閉的な部分とどう向き合っていけばいいのかよく分からなかった。フットワークが軽い人や、思ったことをすぐに行動に移せる人が羨ましくてしょうがなかった。

 フットワークが重たいことに対する頭でっかちコンプレックスは、中高生の自分にとって、かなり切実でクリティカルな問題だったので、「時間がかかってもいいから自分が納得できるやり方で改善してやるぞ」と思ってはいたけれど、状態が好転する兆しはなかなか見られなかった。というのも、中高生の頃は、「するべきこと」が目先の勉強以外に見つからなかったからである。動機や目的意識がないことには、行動のしようがない。「正しい」と思えること、自分の行動の大まかな方向性を示すような指針が、考えられる範囲で見つからなかったのである。何が正しいのかわからねえ、何をするべきなのかわからねえ、と日々悶々としながら、とりあえず無難に学業に励む。日常生活のサイクルの中で、自分の保守的・自閉的な行動パターンを大きく変化させるような要素は、ほとんどなかった。

③「政治への関心」の発芽

事態が色々と動いたのは、大体、大学に入ってからである。大学の環境は、中学・高校のそれに比べて、質が異なる部分が多かったので、自分の考え方や行動の仕方も、環境の差異につられて、メタモンみたく変化していった。高校までの環境と大きく違った点は、まず、人間関係の自由度が圧倒的に高いことだった。高校の時は、授業とか行事の多くをクラス単位で行う必要があったけれど、大学では基本的にそういう縛りはない(一応、クラスみたいなものはあったものの)。むしろ、大学では、授業、サークル、学内イベントにおいて、どんな人とどの程度関わるかということに関して、自分自身で選べる場面が非常に多い。これは自分にとって、かなりプラスにはたらいた。意味不明な「友達」規範や「恋人」規範の空気感が薄くなり、友達がいる奴もいればいない奴もいるし、恋人がいる人もいればいない人もいるみたいな状態になっていた。ある人独自の人間関係がそのままの状態でそれぞれ併存している環境は、中々に居心地がよかった。

また、大学は、そういう組織だから当たり前のことかもしれないけれど、高校と違って、興味関心のあることを専門的に学ぶことができる。そして、これまた当たり前のことかもしれないけれど、自分の関心度が高いトピックが学べる場所に行ったとき、そういう場所に集まっている人たちは、結構な確率で、自分と同じような感性や問題意識を持っている。私は、道徳相対主義に関するモヤモヤをちゃんと考えたかったから、哲学の分野を専攻したけれど、哲学系に進んできた学生たちは、案の定、私のように七面倒くさいことばっかりをウダウダと考えているどうしようもないやつが多かった(超失礼)。川の流れが淀むところに同じような丸みを帯びた石が積み重なっていく感覚があった。要するに類友。大学では、そういう人たちと一緒になって、自分の考えをあーでもない、こーでもないと練り上げることができる。こういう環境も、自分にとってプラスにはたらいた。

もちろん、大学の在学中に経験したことはプラスのことばかりではない。しんどいことだって、中高時代に負けず劣らずハチャメチャに多かった。けれども、最高学府は、とにかく人間関係を含めた諸々の自由度が高く、自分の興味関心について真面目に考えることを助けてくれる環境が整備されていた。業績のニュースよりも不祥事のニュースの方が多い我が母校のおかげで、「政治への関心」は、幸か不幸か、発芽する機会を与えられることになった。

★発芽その1:「正しい」ことはあるのか?という問いに対する回答:抽象から具体へ

大学に入っても、私の中にあった頭でっかちコンプレックスは絶賛継続中だったので、なんとかしてこいつを打破したいなあと考えてはいたが、考えるだけでは、コンプレックスが消えないことは明白だった。思考によって、諸々の行動が起こしにくくなっているというところに、コンプレックスの原因はあったので、そのコンプレックスについて「思考する」という手段が有効であるはずはない、という直観があった。コンプレックスを解消するには、具体的な行動を積み重ねていく必要がある。しかし、具体的な行動が必要であると意識しながらも、同時に私は、「やみくもに行動しても駄目だ」という直観も持っていた。何も考えずに行動を起こせば、自分の大嫌いな根拠薄弱な社会規範に沿うような行動をとってしまいそうだったからである。とにかく、納得できない規範には与したくないし、そういう規範に基づく行為もしたくない。そんなへそ曲がりの自分が「納得して」行動するためには、「納得できる正しさ」が何よりも必要だった。しかし、そのような指針があるかどうか定かではない。そう、そんな「正しさ」なんて「人それぞれ」かもしれないからだ。「正しさなんて人それぞれで~す、正義なんてありませ~ん((笑))」。自分の思考の筋道のいたるところで粗雑な道徳相対主義が顔を出してくるのが面倒くさすぎたので、とりあえず、こいつをバチバチに論破しようと思って、大学では哲学系の専攻に進んだ。もし、正しいものがあるならそれにこしたことはないし、正しいものがないならないでそれでもいい。要は、自分の行動に蓋をしている自分自身のクリティカルな疑問に納得できるまで、大学にいる時間をつかって、向き合ってみようと思ったのである。

 結論から言うと、道徳相対主義に対する疑問、「『正しい』ことはあるのか?」という自分の疑問にある程度の回答を与えることはできた。私が疑問に思っていた事柄は、哲学2600年の歴史の中で膨大な議論の積み重ねがあったので、私は先人たちの知恵をパッチワークするだけでよかった。まあ、10人に話せば、全員が賛同するような結論ではないだろうけれど、それでも、自分の立場をそれなりに明確にすることはできたので、私は、道徳相対主義の問題に関しては、ひとまず「納得する」ことができたのである(これまた結論だけを言えば、道徳相対主義は成立しないし、道徳的な正しさを主張する哲学的な余地はある、ということである)。

「正しいことはあるのか?」という疑問周辺のトピックを勉強して思ったことは、「この問いは、一考する価値はあるけれど、一生をかける必要はないな」ということだった。私が勉強していた「メタ倫理学」という哲学分野はとにかく抽象的な話が多い。しかし、私はいつまでも抽象的な話題に没頭していたくはなかった。私は自分が納得できる具体的な行動がとりたかったのである。抽象的な話は抽象的なところで落ち着けて、後は、折に触れて戻ってくればいい。それくらいの塩梅が丁度いいだろうと思った。

しかし、とは言っても、じゃあ、何をしたらいいんだろうか。「正しさ」に関する自分の哲学的な立場を決めたところで、じゃあ、その考え方を具体的な行動にどう落とし込んでいったらいいのだろう。何をとっかかりにしていったらいいんだろう。うーむ? 卒論のテーマがある程度固まり、就職活動も一段落した学部4年の夏、私の関心は、より具体的で現実的な問題にシフトしていった。

★発芽その2:橋渡し役としてのフェミニズム

 「正しさ」、あるいは「するべきこと」を具体的な行動に落とし込みたいという方向性は、後に、「具体的な政治・社会問題」に向かうが、その橋渡し役をしたのが、フェミニズムだった。大学時代、私が所属していた専攻には、フェミニストが多かった。というか、むしろ、フェミニストじゃない方が少数派みたいな感じ。哲学系の専攻なんて、中道左派を自称する極左メンタリティ持ちの集いみたいなところがあるので、フェミニストが多いというのも、御察しである。朱に交われば赤くなるというのは、非常に身に覚えがある話で、大学の数年間、フェミニストに囲まれて生活していた私は、フェミニズム的な考え方に傾くようになっていった。大学に2年あたりから、なんとなーく興味はあったが、本腰を入れようと思ったのは、精神的・時間的に余裕が出来た時期、すなわち、メタ倫理学の勉強と就職活動が一段落した、大学4年の夏ごろだった。

私がフェミニズムを真面目にやろうと思った理由は、フェミニズムが取り扱う領域に、当時の自分の興味関心が接する部分が多いと感じたからである。興味関心が接する部分の一つ目は、フェミニズムに「正しさ」を求める側面があったことである。哲学思想としてのフェミニズムには、性愛に関わる様々な規範において、「正しさ」を追求する側面がある。フェミニズムは、「女と男の関係はかくあるべし」とか、「女性は本質的に○○」みたいな、全く根拠のない道徳規範を批判する。フェミニズムのその姿勢には、友達規範や恋人規範を含めた根拠薄弱な社会規範を長年嫌悪し、「正しいこと」を求め続けてきた身からすると、共感するものがあった。過激なフェミニズムの主張はときに非難の対象となるけれど、「性に関する差別や抑圧に抵抗する」というフェミニズムの理念自体に異を唱えられる人は、そうそういない。正当性の面から見た時に、フェミニズム理論はかなり強力なのだ。

興味関心が接する部分の二つ目は、フェミニズムは、メタ倫理学と比べて、具体性が強かった点である。フェミニズムには、確かに、大学の講義で扱われるような、抽象的な理論もある。しかし、抽象的な理論を含みながらも、フェミニズムの問題意識がカバーする範囲は、日常生活の具体的なシーンにまで及んでいる。「電車内で足を開いて座る男性が多いのに対して、女性が足を閉じるのはなぜか?」、「なぜ、『女の子投げ』をする女性が多いのか?」、「男性は身長が高い方がいい?」などなど。それこそ、私が日常的に感じていた恋愛規範だとかも、そこには含まれる。おりしも、大学4年の頃の私は、正しさや正当性を日常生活のシーンに活かしていくにはどうすればよいか、ということに興味があったので、理論を具体的に応用していくモデルケースを示しているフェミニズムの方向性は、自分にとって魅力的に映った。このように、「正しさを求める」、「具体性がある」という点で、当時の私の興味・関心と重なる部分があったのである。

ところで、忘れてはならないのが、フェミニズムには、政治運動としての側面が存在することである。フェミニズムの歴史を見てみると、その思想が、権利運動などの政治的なアクションを通じて拡大してきたことがわかる。女性の経験から出発する問題意識を、具体的な政治運動でどう表明してくか、取りこぼされている女性の権利を、どのようにして、法的に実現してくのか。そのような問題意識を持った政治的な運動としての側面が、フェミニズムには、存在する。そーゆーわけなので、フェミニズムをやっていると、やはり、「政治」というものがそれなりに視界の端をうろつくようになる。どうやら、現在の「政治」という場では、(昔に比べて多少はマシになった部分はあるとはいえ)フェミニズム運動が追い求める「正しさ」がほとんど実現されていないらしい。なるほど、それはいけませんねー(日本を真に憂う文化人並感。嘘です)。しかし、では、どーゆー政治的なトピックで、いわゆる不正義や不当な問題が生じているのか?そして、そのような問題を生みだしている原因にはどのようなものがあるのか?こんな感じの問いを通じて、私はちょこちょこ、主にフェミニズム的な正しさを主軸にした観点から、政治の具体的な問題を調べるようになった。こうして、自分の関心は、徐々に具体的な政治トピックへと向かっていく。「正しさ」、「具体性」、「政治」というフェミニズムの要素を通じて、私は、楽しくもなんともないポリティカルワールドをてきとーにぶらつき始めたのである。

★発芽その③:政治とコンプレックス

 実際、政治の話はほとんどの場合、楽しくない。金融対策や財政政策は小難しい専門用語が多くてよく分からんし、政治の話をしている人たちは基本的にイライラしているようにみえるし、宗教やイデオロギーの対立は解決の糸口が見えないし、知らんうちにいきなりテポドンが飛んでくるし。しかしながら、そんなウンチみたいな政治という領域には、自分にとってこれまで気がかりだった、「具体的」な「やるべきこと」みたいなものが、ウヨウヨ泳いでいる。自分の宿便みたいな思考にとって、そーゆーものは決定的に重要だ。なにせ、それのために十年以上、あっちいったりこっちいったりいかなかったりでうろうろしているわけだから。そういうわけなので、楽しくかろうが楽しくなかろうが、自分にとってクリティカルな問題からは目を逸らすわけにはいかない。うん。

 ってな感じで政治と向き合って、新聞読んだり、具体的な政治トピックの本を読んだり、選挙に行ったり、知り合いと政治トークで知見を共有できたりすると、なんやかんやで自分の「頭でっかちコンプレックス」が鳴りをひそめることを実感できる。政治は大体楽しくないんだけれど、それでも、自分の精神に何かプラスの影響を及ぼすことがあるとすれば、それは、このヴィンテージなコンプレックスをすこーしだけ和らげてくれることだと思う。ゲームしたり、漫画を読んだりしているときとは違って、やるべきことをやっているって感覚があるからね。うんうん。

 ちなみに、これだけ、政治が自分にとってクリティカルなものだと言ったり、メタ倫理学やフェミニズムに関わったと言ったりした矢先に言うのもアレだけれども、私は、政治とか学問に対して人生をかけるつもりは毛頭ない。主に中高時代の経験によって、私の信念は、学問や政治に力点を置かないものになってしまっている。学問が通用しない身体的・精神的な領域を実感してきた(というか、私、上座部系の仏教に傾倒しがちだから学問を基本的に信用していない)し、政治性がおよそ意味を持たなくなる人間係性も経験してきた。人との間で形成される具体的な関係やその関係の変遷の仕方に、私の信念の一部は居座っている。私が生活していく上で重要な要素が、政治や似非学問によって脅かされているので、なんとなく頭の中で反論している。今は、他にやりたいことも思いつかないし。

 さて、話の内容が抽象的で散漫になってきたところで、これまでのどーでもいい内容をまとめておこう。

★まとめ:政治の周りをうろうろする理由

 ここにきてようやく、最初の問いに答えることができる。私が、政治の周りをうろうろしている理由は、私にとって、政治が「するべきこと」だからである。政治という領域は、「正しさ」を追求するべき場所で、そのためには、「具体的な」問題を考えていく必要がある場所である。政治は、パブリックなテリトリーから、日常生活のワンシーンに至るまで、広範な領域に渡って、私たちに大きな影響を及ぼしている。そして、その影響のいくつかは、以前の私の前に、モヤモヤを抱かせるような社会規範となって現れてきた。私は、自分が政治の影響に触れて生活を続けていく以上は、不合理な社会規範に従いたくはないし、そういうものが少しずつでもいいから自分の望む方に(そしてできればより多くの人が納得できる方向に)変わっていってほしいと思う。だから、政治から目を逸らしたくはないし、政治にちゃんと関わっていきたいと思う。そのために、少しくらいは勉強をする。新聞を読んだり、SNSの速報を見たり、誰かと政治について話し合ったり、糞尿みたいな妄言に耳を傾けたりする。そういう行動をとっているときは、「頭でっかちコンプレックス」をそれほど感じなくて済む。集中して行動を継続することは、往々にして、マイナスな感情にとって、強力な麻酔薬になるのである。はい、まあ、そんな感じです。

④うつ病道中膝栗毛

後日談というか、今回のオチ。

なるほど、政治は私にとって「するべきこと」なのね、じゃあ、私は「するべきこと」をやればいいのね。「はい、めでたしめでたし」で、終わっていれば良かったのだけれど、生活というものは、大抵、自分の思うようなルートは通らない。めでたくないことだっていくらでも起こりうるのである。というか、最近、起こった。具体的に言えば、うつ病になってしまった。もともと抑うつ的な性格だったけれど、大学を卒業して働き始めてから、なんやかんやあって、抑うつの状態が恒常化して身体が動かなくなってしまった。そんなわけで今、絶賛休職中である。こんな駄文を書くのに時間をかけられるのも、仕事に行っていないからこそである。

うつ病になった原因は色々考えられるが、自覚できている原因の一つとして、中学以来の「すべき思考」が挙げられる。もちろん、こいつのおかげで、色々な思考や行動が可能になったのだけれど、流石にうつ病になるまで自分を束縛してしまうようでは、これまでと同じようにやっていくことはできない。「すべき思考」のおかげで、私は政治の周りをうろうろするようになったが、ここにきて、少し距離間を測る必要が生じたのである。

 「すべき思考」と丁度いい距離感を保って、うつ病君とよろしくやっていくために、最近は、力を抜く機会を意識的に設けるようにしている。昔から、気分転換をするということが苦手なのだが、病気になってしまってはもうそういうことも言っていられないので、半ば強制的に、力を抜くように(?)している。

ぶっちゃけ、政治周りの「するべきこと」なぞどうでもよくなる瞬間なんて、毎日ある。社会が不正義とか差別で満ち溢れていても、そういう現状が、本当にどうでもよくなるときが、よくある。ボーっと何気なく朝に缶コーヒーを飲んで「そう言えば、もうすぐチェンソーマンの新刊が出るな」とか、他愛もないことを考えている瞬間がしょっちゅうある。もちろん、クリティカルな問題に頭と体を力ませているときはあるけれど、私はその力みをキープできるほどのモチベーションやメンタルの強さがあるわけではない(さっきも書いたが、私の信念の力点は、政治や学問にはない)。自分が知らないうちに、勝手に力は抜けている。政治とかフェミニズムとかどーでもよくなって、風呂に浸かって、びばのんのんと歌っていたりする。そういう時間をもう少し大事にしてみようと、病気になってみて、改めて思った次第である。缶コーヒーは世界がどうあろうと美味いのだ。「差別とか不正とか知らねーわ」みたいな気分になったら、まあ、そういう感じに力を抜いておこうと思う。きっとまた思い出したように、勉強して、ウンウン唸るだろうから、どうでもよくなったときくらいはどうでもいい状態にしておく。そうやってほどほどに、ようするに、自分のできる範囲で、「するべきこと」に向き合っていこうと思っている。クリティカルな問題から目を逸らすわけじゃないけれど。缶コーヒーを飲みつつ、せめて、納得できる方を向きながら、溜息をつきたい。おわり。

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