シン感想

観ました。これから先は全部ネタバレを書き残しておこうと思います。

こんなわかりやすいものがあって良いのか。もちろんあって良い。序のアレも破のアレもQのアレもわかる範囲でほとんど説明された。あまりに説明台詞が続くのでほとんど自棄だったのかもしれない。それぐらい全員、過去の過ちと、心情の吐露を余すところなく述べた。正直長い部分もあるし、そこまで拾わなくて良いだろってものもある。けど本当にたくさんのことを拾った。もうエヴァを終わらせることはシンジと監督の(EOE以上にメタ抜きは不可能)責任となっていた。「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」というキャッチのおかげで心の準備ができていた。正直、これくらいのことはやってくるだろうと構えていた。映像を観たらそれでも笑える。

 覚え書きします。すぐ書いてるので間違ってることも勝手な解釈もある。

順を追って

 公開されてる冒頭はカット。

で、トウジ。流石に驚く。だってみんな死んでたと思ってたから。その後も続々出てくるし。この映画、過去作をいったんぐしゃぐしゃにする可能性を秘めていて、しばらくQは見れないかもしらない。「もっと世界を知りにゃ!」→思ってたよりずっと世界は強かったし優しかった。というとんでもないちゃぶ台返しパート。本当に溜めパートで8年待ってたんだな……

まあそのこと自体が前フリになってるんだけど。辛いことばっかりのなんかぐにゃぐにゃした世界だと思ってたら自分の手足で生活してる人たちがいる。同級生は子どもまでもうけて責任を果たしてる。「シンジも辛いよな」と誰も後ろに下がって寄り添ってくれなくて、「辛いのはシンジだけじゃないよ」なんて言いながらみんなシンジが大人になるのを先で待ってる。アスカのシンジへの感情も、俺が思ってたよりずっと大人視点だった。ここら辺マジでキツくて、親戚との居辛さが刺激される。だってエヴァンゲリオンのパイロットだったのに。

(追記)https://news.yahoo.co.jp/articles/13d51f62815d02e325a332bca976dea416106259?page=3 これ思い出したな〜ここ。エリアの向こうに巨人がいるっていう。仮初の安全地帯なんだよね。

 「運命を仕組まれた子どもたち」そのまま過ぎ!まあメタ的にも一杯いるってことだったんだね。そこまで割り切ってるとは思わなんだ。アスカのヌルヌル食わせシーン、裸見せつけシーン、後の「必要なのは母よ」、愛嬌がねえ〜……でもこれもラストに繋がってる。

 綾波。もといそっくりさん。Qの後半で駆け足に自我に悩んだその更に3倍速で自我を獲得し始める。すごい可愛いけどめっちゃ面白い。ここら辺から変な面白さが漂ってくる。そもそもジブリみたいな世界観に廃人と赤ちゃんがいるのが面白いよ。稲作レイ、撮れ高かなりあるよ。だけど死んじゃう。ネルフとかいうイカれた虚構の世界でしか生きられないから。精算をしないといけない。それをシンジが自覚するパート。あと挨拶はラストにもかかってるし、TV版のラストにもかかってる。前フリのパート。

 ヴンダー。マリとアスカ思ってたより仲良かった。マリは漫画版のおまけだとユイが好きだったし普通にそれなりの感情はあるかもしれない。ここでカイザとデルタがいたのは何だったんだ。でもそのくらい肩の力が抜けた(抜ける)映画。このパート、みんなすごい喋り始めるからもうほんとにすごい。Qの真逆。終わらせるためにはコミュニケーションが必要だという。「シンジくんは自分の意志でやったんじょないよ」(=子どもだよ)とかまで言い始める。なんやねん。

 加持さん。ヴィレ設立くらいかと思ったら、お前そんなに「父」代表するのか!まあゲンドウがダメ親だとしたら加持ミサトは責任果たす役にはなるけどね。非常事態に子ども作るか?と思いつつまあだからこそ!みたいな部分はある。ミサトさん作戦中も常に「だからこそ!」って言ってる気がするし。

 インパクトがたくさん出てきて「アナザーインパクト」まで出てくるから、「これはエクストラインパクトまであるな……と思ってたらアディショナルインパクトまで出てきて笑う。ここら辺は流石に用語を理解させる気はないんだけど、まあやけっぱちだよね。エヴァンゲリオンイマジナリー然り。すごい肩の力が抜ける。

 カヲルくんにまた会えたのか??

 冬月がヴンダーと共に「まだ碇のワガママに付き合ってもらおうか」とか言い出した時。すごい笑顔だった。面白すぎる。ゲンドウも今回本当にハイパーラスボスで冬月もハイパー中ボスなのが割り切ってる。常々言われてはいたけど、豪快だった。戦艦の戦闘シーンはちょい好き。戦艦誘導弾はギリシンゴジラからのアイデアな感じもするがどうだろう。

 8と2の戦闘シーン。まあ空中の大群相手戦闘は正直沸きはしなかったな……。13号機に盛大にフラグを建てながら向かっていく2号機には涙。エヴァ自身のの拒絶とかパイロットの中和とか面白いけどアイデアぶっつけ勝負な感じもする。ここあたりからEOEがチラつき始める。「アスカの眼帯、バスターマシンかーい!」「第9の使徒まだいたんかーい!」「使徒と融合できるんかい」「エンジェルブラッド?」「いや負けるんか」口が空きっぱなしだった。

 あ、マジでアダムスの器が9-12号機なんですね。新規で7号機が出てくるなんて。

 ゲンドウ。面白すぎる。この映画は面白いよ。頭に穴が空いて喋りまくるゲンドウが本当に面白すぎる。撃ったのはリツコ。旧世紀版の精算を意識したのかな。銃関連のくだり、ぶっちゃけ面白くないんだけど、そういうところも真面目にやっちゃうのがこの映画が本気で終わらせにかかってるところなのかも。

 裏宇宙。面白い。もう好きにやってるんだって確信できるしね。予告と合わせて、「あ、これで心象世界に行くんだな」って。黒き月も槍に変形でき、そんでゲンドウはアディショナルインパクトを目論んでいる。海、大地、魂、そして追加で認識を書き換えるとか。うおー何でもできる感じになってきたぜ!期待。どうやらゴルゴダオブジェクトなるものがあり、そこでゲンドウが補完の中心となって認識を書き換える!ラスボスっぽい!今を肯定しろ、シンジ!カシウスの槍が希望の槍なのはよくわからん!

特撮ミニチュアのシーンはちょっと笑いが起きてた。この映画は笑って見たいよ。ピアノ線で吊る監督だからミニチュアが出てきても全然おかしくない。色んな場面が出てくる。予告でちょっとチャチかった初号機vs13号機戦いも演出っぽい。だって戦闘シーンをどんなに頑張ってもそれは虚構で、繰り返しコミュニケーションしないと補完はなされないわけだから。でもチャチな世界で生きてる人たちを思い出してシンジは父と向き合えるんだよね。

(追記)シンクロ率無限大、絵面が強すぎる。

 ゲンドウ補完計画。お前、今まで謎まみれだったのに一気に普通の内向的なおじさんになるじゃんか。超喋るし。とたんにしょうもないおっさんに。でもそれで良い。ゲンドウはその謎でここまできちゃったけど、全然普通の悩みを抱えてるから、神になんてなれる器じゃない。息子と向き合えてないし。ここはメタ……ではなさそう。でもEOEを否定する内容なのは明確。というよりゲンドウが背負うものがEOEになっている。新しいシンジはそれは違うよと。ラフ画の演出はもはや懐かしい。

 ここら辺でエヴァンゲリオンイマジナリーだっけ?メタメタだよね。EOE再び。お前が選ばなかったものを俺が選ぶ。でもミサト夫妻の大人の意地で阻止。第三村とかミサトー加持ラインとかアスカとか。彼らは現実に地に足ついてる大人。「虚構vs現実」……なのかも。

 マリ真実。まあ想定内か。本名がマリア?オーバーラップしてるからゴルゴダオブジェクトあたりまで居られるらしい。詳しくはきっといつかわかる。

 全キャラ補完計画、始動!もう本当に全キャラだよね。思えばTV版でもまるっきりやったわけじゃないし、パイロットたちはこれで「エヴァの呪縛」から解き放たれて大人になるわけだ。大人たちは割と亡くなるか頑張って生きるかのどっちか。

 なんかループも仄めかされてた。詳しいことは何度も見ないとわからないけど、少なくともカヲルくんとかはループしてたと考えて良さそう。……というかそれぞれのキャラに事情があって、それを解放して、補完してあげる、シン・エヴァンゲリオンのキャラクター補完計画って感じのラストだった。それで自由になる。大人たちは贖罪するし、子どもたちは大人になれるようになる。シンジくんには神木くんの声帯がついた。大人なんだ。

 それはそれとして謎の繋がりもたくさん。渚の名前の由来まで。加持はゼーレ繋がりかな。まさかカヲルくんの補完に必要なのが加持さんだったとは……。

 アスカの旧劇の補完は流石に感動した。一番ストレートに感動したところかもしれない。体が成長しちゃってプラグスーツを破って横たわってるアスカ、シンジとの応酬、ここはマジでテンション上がっちゃった。マジで良い。

 ガイナックスの槍(名前違う)でネオンジェネシスして終わり!豪腕だ。ちょっと照れてるような気も。なんだかんだ旧世紀の映像はくるものがある。終わっちゃうから。最後に来るのはマリ。一緒にいるのもマリ。徹頭徹尾「他者」なんだろうな。破で世界を見せてくれるのも、Qで後押ししてくれるのも、そして未来で共にいるのもマリ。新劇の新キャラだからこその立ち位置。だからこそアスカカヲルレイとは決着を付けて「さようなら」した。また会う日のために。

 線路は分岐する。ミニチュアの世界で、キャラクターはそれぞれの現実を生きる。最後ポエミーになっちゃうけどこんな感じ。もう終わりは終わりって感じ!爽快感はあるけどこの映画エンタメとして面白い部分あんまり無いかも。閉じてる。閉じて新しく開くための映画。

連想したもの(雑記)

 心の準備ができたのは「アベンジャーズエンドゲーム」「ジオウOQ」「エウレカANEMONE」あたりのおかげ。過去の映像を詰め込んで肯定しつつ未来へ……みたいな演出自体は全然色んなシリーズものが向き合ってるものだと思う。でもなっっっがいシリーズ(しかも空白が長い)だから達成感、爽快感はひとしお。

「エンドゲーム」くらい閉じてる。撒いた伏線を回収し続けてる。(罪の精算?)映像としては「ANEMONE」くらい見応えあったし、「OQ」くらい笑える映画でもある。長いから疲れたけどまた見たいし人と話してみたい。気持ち良い音だった。覚え書き終わり。

2回目追記

2回目を観てきた。

お話としてはどストレートだけど、困ったことに集団エヴァや鮮やかな劇伴が映像として良過ぎて、「まあ8年かかるよな……」と思う。もっと早く欲しかったのも本音だけど、まあ無理だ。

地球をコアに見立てて、どんどん奥深くに潜っていく=プラグ深度って図式なのが理解できた。奥には魂の情報があって、(アナザーインパクト)情報の先が想像・虚構の世界でそこにエヴァイマジナリーがいるってわけね!!!

あと槍は6本って明言されてて、一回のインパクトに相補性云々で2本必要だから、ゼーレのシナリオでセカンドサードフォースが予定されてた。というのも理解できたかもしれない。1.0から3.0+1.0、セカンドサードフォースアナザーアディショナルで綺麗に合いそうなんだけどどうなんでしょうか。ループを表してるのもありそうだけど。

槍の名前はガイウス→ヴィレ(人の意志)だった。ミサトさんの「ヴィレとヴンダーに刻まれた言霊を信じる!」は「人の意志の可能性を信じるぜ!」くらいの意味かな。ガイナックスは関係なかった。

リツコの「碇司令が何かやらかす前に〜」の台詞面白い。

量子テレポートのシーン、相当面白い。

マリとアスカのスーパーダブルイナズマハリテ、何?

シンジが初号機乗り直すところとマリが12号機に対峙するところ、画単品でカッコ良すぎる。

今までも一人だけ乳揺らしてたけど、やっぱりシンのマリめちゃくちゃ胸大きく感じるんだよな……

劇伴、褒めるところしかない。入りが全部多様で新鮮過ぎてどれか一つを思い出せない有様。ボーカル入りも良い。

集団戦、2回目は流石に良く見えてけっこう見応えあった。すごいことやってるわ。

村、頭の中で「現実パート」って呼んでるんだけど、あの現実でシンジアスカレイが立ち直れた(エヴァが無くても居場所を見つけられた)ことが「エヴァ無しでの再構成」に繋がってるのね。序破で綾波が「エヴァに乗らない幸せ」をずっと口にしてて、Qで「ガキが人に言われてエヴァ乗るな」、でシンで「落とし前をつけるため」にエヴァ乗ってさらばエヴァンゲリオンする、流れが完成されてる。

ちょっと深読みかもだけど、「シン」はsin(罪)、あとイマジナリーに対しての「真」くらいはあるかも。あとシン化は深化も入ってるかなーとか。考える意味はあんまりない。

カヲルと加持、やっぱり全然わからないんだけど、サードインパクトで何かしらあったのかな。マーク6の起こしたインパクトを加持が命を賭けて止めたわけだし。ゼーレを指揮するカヲルが破とQの間にいたのかもしれない。あとは加持が父でカヲルがアダムってことだけどこれは関係ないかな……

「母さんを見送りたかった、それが父さんの神殺し」、これはループとしてEOEを下敷きにしてるか、或いは初号機の中にいるユイをゲンドウが13号機で共に貫くことで一緒に死ぬ=神となったエヴァを殺すってことなのか。後者の方がスッキリするな。思ったよりメタ入れなくても読めそうだけど、やっぱり繰り返してるとは思う。(円環に導かれる、今回の補完の中心というワードはループでは)

メタ入れると、虚構であるEOEをやり直し、ゲンドウはその主人公となってユイに会って一つになりたいんだけど、「現実」で生きるミサトたちの意志の前に主導権を明け渡した、とか。

「現実」は別に村だけじゃなくて、人と人が関わり合う場所のことなんだと思う。だから村やヴィレは「現実」で、ネルフはほとんど「虚構」。エヴァの呪いによってリリンではなくなったパイロットも「虚構」かも。アスカの「ここは私のいる場所じゃない、守る場所よ」はすごく象徴的……だと思う。で、その「虚構」から解き放つのが補完で、ゲンドウとユイですら今回は補完された。(冬月は?)

最後の追記

ふせったーなどで喋ったことを思い返しながらラストの追記メモ。後何回か見てもこんな風な追記はしません。

加持さんとミサトさん。今回葛城博士が補完計画を提唱したとのことで、どうも加持さんは義父のやらかしに向き合ったということで謎の株上がり。まあ株は上がるけど、何というかあの二人らしい感じはする。一番落とし前らしい。良くも悪くも。

voyager、とても良いのでよく聞いてます。他にもゴルゴダオブジェクトとウルトラマンの関連性とか、エヴァmk7がスカルマンっぽかったり、オマージュのみならず、今作は昭和っぽさを隠してない。だって監督は昭和の文化に浸って吸収してきたから、という。その素朴さが全体に響き渡ってる。

エヴァイマジナリー、観客(ゲンドウ?)には巨大綾波に見えてるし、シンジは白リリスと出会ってるから黒リリスに見えてる、と解釈してる。他のキャラにはサードインパクトのリリスとかが見えてるかもね!

銃撃つ撃たない、キャラ描写としては、サクラの顛末とかかなり面白いんだけど、あそこでシンジが行かないとどうしようもないとか、恨むならせめてゲンドウを恨めよとか(知らないにせよ)2回目見てドラマ的に一番厳しいのはあそこ。

他にも考察みたいなものはちょびちょびあるけどもっと詳しく書いてる人もいるしそれはいいか。上のメモも、変なところがたくさんあるけどそっちの方が面白い。1.0がインパクトってどういう意味だ?序では何も起きてないのに。

総括

で、自分語りも交えた自分なりの総括を。

EOEを観たのは小学生の頃。テレビ版最終回もそうなんだけど、なんかすごいことが起きて、でも全部無になるのは嫌だ、というラストには感銘を受けた。首絞めとかはよくわかんなかったけど。

ネガティブな描写も多く、絞って絞って最後に残るのがなけなしの希望。当時は言語化なんてまあできなかった。EOEがそんな影だとしたらシンはまさに光で、「終わらせる」をキーワードに説明と描写を詰め込んで25年に終止符を打った。最後の方はやっぱり爽やかで見終わったあとはとても気持ちがいい。

ただ引っかかる部分もある。感想は人それぞれ、これは庵野監督の答え、不満があるなら自分で行動すればいいというのは前提でしかなくて、万感の思いやキャラクターの卒業式から遠ざかったところに何かモヤモヤした気持ちがある。

この映画、「禁じ手」を持ち込んで終わらせたよなあという気持ち。本当に禁じられてるわけじゃないけど。

エヴァはシンジくんが「八方塞がり」みたいな状況に押し潰されて、それでも希望はある、という構造だった。しかもコミュニケーションの描写が妙にリアルで、すれ違いや誤解がたくさん仕込まれてて、なかなか情報や感情を共有し合えなかった。

Qまではそんな感じだったけど、シンではその状況が壊れる。戦いとは無縁だけど生きることに懸命な、仮初の優しい世界、「現実」があって、そこで生きられないレイの姿を目の当たりにして、シンジは「落とし前」を付けることを決意する。

さらに14年も時間が経っていることと、シンジが前向きになったことで、今までコミュニケーションを阻んでいたものが取っ払われ、とりわけ大人とのコミュニケーションはだいたいうまくいく。

というより、コミュニケーションが上手く行かなくても別に良い状態になってるという方が適切かもしれない。シンジは終わらせることを決意したのでもう迷わない。で、それで何も問題が起きない。破のラストも割とそんな感じだったけど、あれはゼーレの罠だった。

トウジもケンスケも村の人たちも、ミサトもゲンドウも、「もし自分ならムカつくな〜」ってところがたくさんあったような。決意したシンジ、本当に負の感情が無い。村の人たち、悩みとかないのか。

思うにエヴァってやっぱり「瞬間」で、親とか大人とか友達とかが、必要だけどイラつくようなところが切り取られてた。そこに「時間」が流し込まれて、距離を置いて、諸々の問題が解決して、っていうのは虚しいものはやっぱりある。

だからシンでエヴァが終わったというか、自分の中ではシンは「終わらせた」という表現になるし、旧作は全て「終わっていた」ということになる。色んな悩みは、全て時間が経てば解決するものだった。それは真理だし、でも真理が面白いとは限らない。特にQでのサードインパクトの説明はもう「ドッキリ」にしかならない。シンジがいて欲しかった人はみんないたわけだから。

あの頃の悩みがシンで解決したわけじゃない。全部、痛みを残して消えた。最後に「やるべきこと」が残った。達観したシンジの姿は、あのままのシンジではここに居られなかったと言われてるかのようだ。それはリアルと言えばどこまでもリアルだけど。

「落とし前」を付ける、終わらせる、というのは良い。ただ、ほとんどの小さな問題の落とし前はシンジたちがつけたわけではなく、時間が解決した。なんだかそのバランスが嫌だ。変な喩えだけど、「どこでもドア」が通る人を分解して〜というネットの怖い話と同じ感覚がある。あの人たちって本当に破までいた人たちなのだろうか。みんな落とし前をつけるため成長していて、連続性が掴めない。

だからQの時には衝撃的な仕掛けだった「14年」は、今になって、メタ抜きだとちょっと嫌なものになってしまった。かも。

アニメとしての表現、実写や特撮的な表現や卒業式としての存在など、好きなところもたくさんある。ただ、あの頃の人間関係の問題が「行動」ではなく時間経過という「状況」で解決してしまったのは、単体のシリーズ作品としての瑕疵だと俺は思いたがっている。そんなことをやったら全然尺は足りないけど。あと25年やってたシリーズに対して単体の瑕疵とか言う意味は?とは思いつつ、それでも。

というより、Qが計算されてたというよりはけっこうイレギュラーなチャレンジだったのかなという気がしている。可逆性はないわけだから、ああした以上終わらせるにはこれしかない。ライブ感なんだ。そういうライブ感をたたえたシリーズが、総決算に軸足を置くという、やはりちょっとズレたところにシンエヴァがシンエヴァたる部分があるのだと思う。それはエモいけど、エモくていいのか?という。

マイナス宇宙で起きることはどこか既視感もあって。エヴァの影響が見出されたような作品も長期シリーズになって終わるころ、エヴァは素朴で爽やかな終わりを迎える。それもいい。でもそれはあの頃の「瞬間」の少し先ではなく、「瞬間」が「面影」になった末にやってくる大団円だった。切ないな。

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