PK shampoo 信徒からの手紙

音楽

PK shampooというバンドは、社会に適合し辛いことを自らのアイデンティティの担保にしてしまうような捻くれた若者──その多くが大学生だろう──にとって、間違いなく救済だったし、フロントマンであるヤマトパンクスは明らかに彼らの方を見て歌っていた。

しかし、今やもう彼はより高みを見つめて歌っている気がしたし、俺たちは彼にもう何か、俺たちのやるせなさや虚しさのようなものを代弁してくれることを期待するべきではないのかもしれない。

新木場STUDIO COAST、いつものライブハウスよりずっと高いステージ上でスポットライトに照らされるヤマトパンクスを見て、そう感じた。

そう感じたし、彼らはもっと高みを見据えるべきだと強く実感した。それだけ、俺は疎外されている気もしてしまうのだが……。前に出した記事で「彼らが触れる距離にいる内にライブに行くべきだ」などと書いたが、本当にあっという間に触れられる距離ではなくなってしまった。それほど、COASTのステージは高く感じた。そんなデカい箱をいっぱいに埋めて夜間通用口を歌いあげるなんて、やっぱりすごいバンドだ。はっきり言って、このバンドはもうめちゃめちゃ売れている。俺たちの嫌いなしょうもな大学生だって、春色のカーディガンを羽織ったマッシュヘアのいけ好かない軽音サークルの男だって、それと連れ立って歩いてるキーボード背負った女だって全員聴いてるぜ。

俺がこのバンドを好きになったのは、俺が大学に入って少しした頃で、確かKanzakigawa epが発売された直後とかそれくらいだった思う。ローファイなノイズと叙情的な主旋律、お得意の泣かせるコード進行によって規定されるPK shampooの音楽はまさしく発明、他のどんなシーンにもないロックだと思った。かくいう俺もその音楽に心酔し、ヤマトパンクスと同じような服を着て同じような髪型をしていた。もうやめたが。

しかし今になって思えば、このバンドが成功した原因は、その音楽が優れていたというのももちろんだが、それ以上に明らかにヤマトパンクスと彼を取り巻く人々が織りなす”シーン”の形成にあったと確信できる。究極、今後リリースが殆どなくてもヤマトパンクスを取り巻くシーンは大きすぎて、彼の影響力が衰えることはないとさえ思えてしまう。

このバンドの音楽は、ノイズまみれのサウンドと、メロディ及び詞の美しさのアンビバレントに魅力があるというような説明されている印象があるが、それだけの要素ではPK shampooの商業的成功を説明することはできないし、似たような音楽を別のバンドが制作したところで絶対に彼らを再現することはできない。思い出してほしい、彼らのレーベル名from WWWと1stフルアルバムのジャケットが描いたイメージを。それはとても精確にこのバンドの持つ最大の特徴を説明している。彼らは00年代以後のインターネットにおけるスラング的に消費されてきたアングラカルチャーとHIPHOPに特有だったストリートカルチャーをごちゃまぜにして”出力”し、他のどこにもないシーンを形成している。

ここで重要なのは、繰り返し言うようだがその出力元/出力先は音楽のフォーマットだけでは必ずしもないということだ。ヤマトパンクスはありとあらゆるインターネット/ストリートカルチャーを取り入れてきているし、自身のファッションやSNS、ラジオ上におけるパフォーマンスを通じたブランディングが完璧に行われ、かつ彼の制作する音楽とそれが結びついてはじめて、PK shampooはPK shampooとしてのシーンを作りたりえる。そんなこと、大資本が注入された広告によってしかブランディングを行えないメジャーバンドには絶対にできない芸当だ。  

 もちろん、この類のブランディングを行い成功してきたアーティストはHIPHOP界隈を中心に数多くいることだろう。しかしPK shampooが特異的なのは、その手法を邦楽ロックというゴチゴチに固まった独特な音楽シーンに輸入してきたことにあると思う。だから、俺のようなインターネットボーイたちに振り向かれたし、今や多くの学生層に聴かれる音楽になり得たのだ。もちろんそれははじめは意図的なものではなかったのだろう。ヤマトパンクス個人の遍歴と彼を取り巻く音楽が結果的に組み合わさっただけに過ぎなかったのかもしれない。だがそれらはあまりに見事に融合し独特なシーンを邦楽ロック内に形成した。丁度、台風の目のように。

 ここまで散々音楽だけが重要な要素ではないと書いておいて恐縮だが、もちろん彼らの音楽も同じくらい重要だ。まず一聴させるきっかけをつくれなければ誰も振り向いてくれないから。そして、俺のような(自称)音楽好きのオタクに聴かせるのならともかく、大衆に聴かせるためには絶対にキャッチ―な主旋律が必要だ。ヤマトパンクスの歌はよく歌謡曲的だと言われるが、大衆に聴かせるためにはむしろ歌謡曲であった方がいい。聴かせる主旋律でなければ大衆は絶対に聴かない。しかしここが重要なのだが、現代の売れる音楽における重要なファクターとして俺のような(自称)音楽好きのオタクにも聴かれないといけないのだ、どういうわけか。キャッチ―かつ音楽好きをうならせる引き出しがあること(丁度、星野源とかそのいい例だと思うが……)、偶然か意図的なものかはわからないがヤマトパンクスの音楽はうまくそれを両立できている。泣かせて歌わせる主旋律と共感性の高い歌詞、かっこいいギターサウンド/セカイ系の文脈すら感じさせる具体と抽象を行き来する深遠な歌詞世界、幾重にも幾重にも重ねられノイズじみたエレキギターの響き(とそれが意味すること)これをかんっぺきに一つの音楽に落とし込んでいるのがPK shampooの楽曲だろう。この曲があって初めて先述したシーンは動き出すし、大きくなり続ける。

 そういえば、楽曲の要素だけをとりだせばたびたび比較対象になる、ヤマトパンクスの尊敬する峯田和伸のそれと近しい部分は含まれる可能性があるが、そういう部分も含めてfrom WWWといって過言ではないだろう。それに個人の振る舞いレベルでは全く異なるスタンスをとっていると思うし、ここ数年でヤマトパンクスの立ち振る舞いはかなりアップデートされてハイファイなものになっていっている。

そう、ハイファイさ。彼らがここ数年で身につけた最大の強みはノイジーなのにハイファイであるということだろう。これは音楽的にも、ヤマトパンクス自身のブランディングにおいても重要なターニングポイントで、リリースで言うなら夜間通用口のMV公開とkanzakigawa epのサブスク解禁時(の新曲)ごろから明らかにごちゃ混ぜの雑多さの中に確かな洗練さをともないつつある。そう考えれば、あの1stフルアルバムほど完璧にノイズとハイファイさを兼ね備えたものはない。また銀杏BOYZを例に出して恐縮だが、ちょうど「光のなかに立っていてね」当時の銀杏をより高度に洗練させたような音楽をしていると思う。kanzakigawa→シングル奇跡頃の音源に特有だったハイとローをカットしたどこかローファイな音作りは鳴りを潜め、埋もれそうなノイズの中に鉄のように鋭いギターの響きを確かに感じさせるサウンドに成長している。一部の曲で取り入れられた打ち込みもうまく調和できている。主旋律の譜割りを見ても意図的に拍をずらした連符をアクセント的に取り入れていってるし、どんどんブラッシュアップされている。もうただの歌謡曲ではない。

SNSに注目するならば、最近のヤマトパンクスの振る舞いは「誰も傷つけない」ギリギリのラインを熟知したものに思える。俺はヤマトパンクスの振る舞いは完全に戦略だろう。まあそれは、バンドが大きくなったからには仕方ないのかもしれないが……。その中ではある種セルアウト的な振る舞いをしなければならないことがあるだろう、そしてヤマトパンクスはそれを完璧にこなしている。完璧にこなしているからこそ、俺からすればただ悲しい、そして疎外されたと感じてしまうのが。そう思えばCOASTのライブ、最後のMCで吐露した彼の素直な言葉を聞けて俺は本当に良かったと思う。彼の、このバンドを大きくしていきたいという本当に素直な思いを……。だからこそ、そう言ってくれたこそ、インターネットボーイの俺からすれば、これまでの、身内感というか、自分もシーンの一部でいれたという感覚というか、そういった感情から離れて彼らを一人のファンとして応援できるのだ。それは悲しいことでもあるが、いいのだ……俺みたいなやつは本来ただのいちファンでしかないのだから。でも、俺の大学生活、PK shampooがいてくれてとてもよかったと思うから、この2年ちょっとの間は、ミュージシャンとファンというよりも、同じシーンにいた“仲間”だったと思わせてほしい、錯覚でもいいから、そしてこれから先はただのミュージシャンとファンでいいから……。このバンドと、出会えてよかった…….。

ああそうです、この文はただの旧いファンの戯言です。俺みたいなオタクの妄言は無視してどんどん成功していってほしい。フジロックで歌うヤマトパンクスも、それはそれで見てみたいから。

ただ一点だけ、俺が老婆心で心配するのは彼の歌詞世界が限界に達してしまうんじゃないかということだ。市営葬儀で「暮らしのRHYME」を解禁したかと思えば白紙委任状では「繊細ごっこはどうやらおしまい」……ヤマトパンクス自身の内面を突き詰める方向性はそろそろ打ち切りにしたほうがいいと思う。俺はヤマトパンクスの抱く海のイメージがとても好きで、だから一番好きな曲は天王寺減衰曲線なのだが、ヤマトパンクスは海や宇宙に素晴らしい感覚の広げ方をできる人間だと思うので、そんな歌詞をもっと書いてほしい。シークレットトラックの曲もとても良かった(衛生都市計画も完璧に良かったから、ソロの続編も出してほしい)。

暗闇の中で具象と抽象を行ったり来たり

込める想いの蓋には重しを

水星より愛を込めて

桜宮に降る星は 架空潜望鏡で君だけが見ている

それでは。

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